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読んでいて気持ち悪い文章と、爽やかな文章の決定的な違い
ブログを書き続けていると、自分の文章を読み返す機会がよくあります。
書いた文章を読み返した時の感覚は2パターン。
- 「この文章は読んでいて何だか嫌な感じがする。気持ちが悪い。」
- 「この文章は読んでいて気持ちいいな。爽やかだ。」
あなたも同じような経験はないでしょうか?
この感覚が何なのか今まで分かってませんでした。
ですが、つい最近読んだ本の中に答えが書いてありました。
文章には書き手の根本思想がどうしようもなく現れる
少し長いですが本の内容を引用させていただきます。
友だちとの会話にちょっと行き詰まった、数年まえのある日、私は、自分の発言の動機を探ってみたことがある。
いやな自分を見てしまった。それは、私はすごいんだ、ということを相手に見せつけたい、という「自慢」だった。
話題は、昨日観た映画から、友だちと行ったレストラン、最近の仕事、と移っていくのだが、何を言っても、どう言っても、自慢たらしいのだ。これでは、相手への信号は同じ、会話が弾まないのもあたりまえだ。
それから、折にふれて、「私を今、この会話に向かわせている根本思想」「私を今、この仕事に向かわせている根本思想」を探るようになった。
意見は、ちょうど氷山の見えるところのようなもので水面下には、その何倍もの大きな、その人の生き方・価値観が、横たわっている。それが「根本思想」だ。
根本思想は、短い文章にも、ごまかしようなく立ち表れてしまう。根本に、人に対して温かい想いを持っている人の文章は、さりげない書き方をしていても温かさが伝わってくる。また、生き方が後ろ向きな人は、何を書いても、どう書いても、やはり後ろ向きな印象が伝わってしまう。
「根本思想」を変えないかぎり、話題を変えても、読み手への印象を変えることはできない。
なるほど、読者に伝わる感覚はそのまま書き手の根本思想が反映されていたのか。
自分が書く文章を見返してみると、間違いなくそうでした。
読んでいてネガティブな感覚になる文章を書いている時には確かに「奪ってやろう」「自分の凄さを教えてやろう」という感覚があった。
逆に、ポジティブな感覚になる文章を書いている時には「この楽しさを共有したい!」「あー、幸せだ」という感覚を持っていた。
根本思想は2つ。相手から奪いたいのか、与えたいのか
根本思想は突き詰めていくと、2種類に分類できます。
- 相手からエネルギーを奪いたい
- 相手にエネルギーを与えたい
正論を言っていても何故か響かない人の言葉の後ろには「奪ってやろう」という根本思想が透けて見えていました。
「バカ」「アホ」などの言葉を使っていてもキンコン西野さんの文章は前向きで気持ちいい
最近、ネット上で話題になるブログ記事を連発されているキンコン西野さん。
一見すると「バカ」「アホ」などのネガティブで強い言葉を使っているように思えます。
ですが記事を開いて読んでみると、強い言葉を使いながらも読んでいて清々しい。
最終的には「一緒に面白く生きようぜ」という根本思想がどの記事を読んでも伝わってくる。
これがキンコン西野さんが今多くの人から指示されている理由だと思いました。
どんなに短文だったとしても、奪おうとしてる人が書いた文章は気持ち悪い
ちょっとした文章でも、根本思想はくっきりと現れます。
会ったことのない人から連絡が来た時に、返事するかしないかは文章を読んで直観で決めていました。
「なんか嫌だな」とか「この人には返事をしよう」と文字を見ただけなのになぜか感じてしまいます。
これも同じように、短い文書の中に書いた人の根本思想が潜んでいるからだと気づきました。
▼ブログに関する質問でも、答えたくなるものと答えたくないものに分かれる(これは答えたくない質問)
逆に返事をしたい文章には、
という自分以外の他者に対する想いがどこかに存在していました。
これって文章に限らず何でも同じ。
「あなたの為を思って」と表面上は装ってアドバイスしてくれるけど、実は他人を否定したいだけの人っていますよね。
そうやってエネルギーを奪おうとしてくる人からは距離を置いて良いと思うんです。
最後に。どうせ書くなら読んでいて気持ちいい文章を
- 読んでいて気持ち悪い文章は、奪ってやろうという根本思想が見える
- 読んでいて爽やかな文章は、与えたいという根本思想が見える
文章には根本思想が必ず現れます。
僕もこれまで何度も読んでいて気持ち悪い文章を書いてしまったという自覚があります。
けれど、これからどうせ書くなら、読者に与えられるような文章を書いていきたい。
自分の根本思想は文章から透けて見えることを知り、改めてそう思いました。
▼関連本
GIVE & TAKE「与える人」こそ成功する時代 三笠書房 電子書籍[Kindle版]