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ムダでしかない匿名の批判、価値のある実名の批判
こんにちは、やぎぺーです。
僕は”批判”がかなり嫌いで、このブログを書き始めた時からずっと批判ついて考えてます。
批判とは、それに時間をかけるほど批判をする当人にとって価値があるんだろうか?
というのが今日この記事で考えたいところ。
結論としては、批判に価値があるパターンとないパターンの2つがあります。
- 匿名での批判は時間のムダ(批判する当人にとって)
- 実名での批判は価値がある(批判する当人にとって)
これが結論。詳しく説明していこうと思います。
匿名での批判は時間のムダ
誤解を恐れずに言うと、匿名で批判をする人はアホだと思う。
時間のムダでしかない。
2chやTwitterで匿名で活動している人たち。
匿名で批判をしたいと考えるモチベーションは、9割が嫉妬だ。
嫉妬が湧いてしまうのは人として健全だと思う。その嫉妬をどう処理するかが問題だ。
嫉妬を自分の中で都合よく批判に変えてしまうと、一時的な満足は得られるけれど、自分はずっとその場に留まっていてしまう。
嫉妬対象を批判して偉くなった気持ちになって、一時は満足が得られる。
けれどその満足感はすぐに薄れる。麻薬みたいなもんで次の薬(批判)打たないと自分を保っていられなくなる。
“批判”は最も努力せずに優越感を感じられる方法で、
一時的に満足できるけれどすぐに効果が切れるからまたやりたくなる麻薬みたいなもんだってプーケットで買った雑誌に書いてあった批判に逃げるのは自己実現のために努力できない弱い人間なんだって
— やぎぺー🐐 (@yagijimpei) 2017年6月10日
僕も自分が上手く行ってない大学生の頃などは、他人に嫉妬しっぱなしだった。そして何とか足を引っ張ってやろうと考えたりしたこともあった。
けど、いくら批判して相手を貶めた気になっても自分は変わっていない。
そう、自分にとって全くもって意味がない。
嫉妬心が湧いた時はグッとこらえて、「俺も嫉妬されるくらい活躍してやろう」と嫉妬をエネルギーに変えるしかない。
ということで、匿名での批判は時間とエネルギーのムダでしか無い。
以上、匿名での批判は時間のムダだ。
実名での批判は(自分にとって)価値がある
逆に、実名での批判は批判者本人にとって価値がある。
実名での批判は自分の立ち位置を明確にすることが出来る。
例を出してみる。
僕はカフェオレが好きだ。
僕はカフェオレを毎日飲んでいる。
これを何度も主張していると周りの人から見ると「あぁこの人はカフェオレが好きなんだな」となる。
けれど、その人の輪郭はぼやっとした印象を受ける。
さらに僕がこういう主張をしたらどうだろうか。
コーヒーは嫌いだ。
グリコのカフェオレは好きだけど、他のカフェオレは嫌いだ。
批判というよりも「俺はこれは好きではない。違うと思う。」という意思表明という感じ。
さっきまではただのカフェオレ好きだったのが、コーヒーは嫌いで、グリコのカフェオレ以外は嫌いだという情報が加わった。
こうすることで、その人がよりクッキリと分かりやすくなる。
「あー、コーヒー嫌いのカフェオレ好きな人なんだな」と、どのポジションから喋っている人なのかが客観的に見て分かりやすくなる。
自分が違うと思うものに「違う」と宣言することで、立ち位置が分かりやすくなる。
これが実名での批判の価値だ。
個人にとって価値はある。けれど、社会にとって価値があるかは分からない。
むしろプラスよりもマイナスの方が大きいんじゃないかと考えている。
だって何者でもない時に一生懸命やってることを他の人から批判されると、心折れそうになるじゃん?
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結論:自分のことに集中するしかない
- 実名での批判は価値がある(批判する当人にとって)
- 匿名での批判は時間のムダ(批判する当人にとって)
何をやっていても、誰かしらから何かを言われるのは仕方ない。批判にもメリットはあるから。
そして自分が誰かをいつの間にか批判していることもある。仕方ない。
個人にとっては批判はメリットがあるので、批判の一切ない世界は絶対に訪れない。
だから皆自分のことに集中して、周りのことは関係ないぜって態度を取るのがベストだ。