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鹿児島にある国の史跡で、うんこをもらしました
晴れた日だった。
ヒッチハイクで西日本一周を始めて10日が経った日の出来事である。
ぼくは、西郷隆盛像がふもとにそびえる鹿児島の天然記念物「城山」に登ろうとしていた。
今思えばこの時から、臀部に若干の違和感を感じていた。
違和感を感じていたにも関わらず山を登り始めたのがいけなかった。
城山は歩いて登ると徒歩40分ほどかかる。
登り始めて5分ほど経ったとき、腹痛が来た。
しかもこれは明らかに、うんこに由来した腹痛だ。
この時ぼくは山頂まで40分もかかることを知らなかった。
引き返してトイレを探すという選択肢も頭には浮かんだが、「うんこを我慢して山頂を目指す」という決断に至った。
だが、それは甘かった。
腹痛が増すスピードは想定よりも早く、山頂までの距離は想定よりも長い。
うんこと格闘した経験のある人なら分かると思うが、便意には波がある。
波の引いた瞬間は”なんだかいけそうな気がする”という思考が生まれ、「この状態なら山頂まで持つ」と考えてしまう。
だが、波がやって来たときに理解する。これは無理だ、と。
「これはヤバいんじゃないか?」と気付いたとき、看板を見て、既に山頂まで半分のところに来ていることを知った。
つまり、ここからはもう進んでも戻ってもトイレにたどり着ける時間は変わらない。
進んでも戻っても同じなら、
もちろん進む。
それがぼくの信条だ。
山道から外れ、茂みに隠れて用を足すこともできた。
だが、そんな逃げの選択肢をぼくが取るだろうか?
いや、取らない。
中学高校とバドミントン部で鍛えた脚力なら、山頂のトイレまでたどり着ける自信があったからだ。
ひたすら走った。
必死に、かつ繊細に(お尻を刺激しないように)走った。
便意の波をうまくかわして、ただひたすら山頂を目指した。
山道を抜けて空が明るくなってきた。
見つけた!トイレだ!
やった!間に合う!
人間は追い込まれた時、自分に都合のいい状況を想像してしまうものだ。
トイレを見つけたとき、ぼくは無意識のうちに、
トイレに駆け込み、
個室に入り、
ズボンをおろし、
便器に腰をかけて、
よろしくやっている(うんこ的な意味で)タイミングを想像してしまっていた。
それが罠だった。
ぼくはトイレに駆け込んだ。
個室に入…れない。
空いていなかった。
その瞬間、ぼくの中で想定されていたタイミングは完全に狂った。
ぼくの肛門括約筋(お尻の筋肉)はすでに脱力を始めた。
ズボンをおろす必要も、便器に腰をかける必要ももうなくなったのだ。
そしてぼくは、
うんこを漏らした。
それはそれは盛大に漏らした。
小学3年生ぶりに漏らした。
パンツだけでなくジーパンまでいってしまった。
個室が空いた後、トイレットペーパーで必死に拭き取った。
ジーパンはビニール袋に入れて山頂に置いてきた。
鹿児島の人、本当にごめんなさい。
うんこを漏らした後に山頂から見た桜島は、
雄大だった。